1977年、「硝子坂」で鮮烈なデビューを飾った高田みづえさん。
清楚で親しみやすい雰囲気と確かな歌唱力で、たちまち人気を博しました。
その人気絶頂期に突如訪れた引退発表――。理由は、大相撲界で活躍していた大関・若嶋津六夫さんとの結婚でした。
それから数十年。
高田みづえさんと若嶋津六夫さんは、表舞台から離れた生活を送りながらも、多くの人にその存在を温かく見守られてきました。
この記事では、お二人の「今」、そして家族の最新情報まで、できる限り詳しく、丁寧にお伝えしていきます。
当時のファンの方も、最近知った方も、ぜひ最後までお付き合いくださいね。
高田みづえと若嶋津六夫の今

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まずは、高田みづえさんと若嶋津六夫さんの「現在」についてご紹介します。
二人が結婚を発表した1985年は、まさに芸能界と相撲界に激震が走った年でもありました。
当時、高田さんはアイドルとして絶頂期。若嶋津さんも相撲界で大関という地位にあり、双方にとって「絶対に失えない」キャリアがありました。
それでも、互いを選び、人生を共に歩むことを決めたのです。
結婚後、高田さんはすっぱりと芸能界を引退。
若嶋津さんはその後も相撲界で奮闘を続け、1987年に現役引退。
年寄・松ヶ根を襲名し、松ヶ根部屋を創設しました。
そして月日は流れ、現在。
2025年時点で、二人は静かな日常を送っています。
特にここ数年は、若嶋津さんの健康上の問題もあり、外部への露出は控えめになっていますが、家族との時間を何よりも大切にしているそうです。
娘さんや息子さんとも交流があり、家族全員が節目ごとに集まるなど、絆の深さを感じさせるエピソードがたびたび聞かれます。
仕事一辺倒だった時代を経て、いまは「人生の実り」を味わう穏やかな暮らしを楽しんでいるようです。
高田みづえの旦那、病気と現在の様子

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さて、多くの方が心配されている若嶋津六夫さんの健康状態について、詳しく見ていきましょう。
◆ 2017年、自転車事故による重傷
若嶋津さんが大きな事故に遭ったのは2017年秋のことでした。
自転車で帰宅中、バランスを崩して転倒し、頭部を強く打ってしまったのです。
すぐに病院へ搬送されましたが、当初の診断は「重体」。脳にダメージがあり、意識も戻らないという深刻な状況でした。
当時、関係者からも「非常に厳しい状態」と伝えられていたため、家族だけでなく、かつてのファンや相撲界関係者にも大きな衝撃が走りました。
◆ 高田みづえの献身的な介護
そんな極限の状況下で、誰よりも強く、優しく支えたのが高田みづえさんです。
四六時中病院に付き添い、わずかな変化も見逃さず、リハビリや医師との連携にも尽力しました。
彼女自身、かつては表舞台で多くの人に笑顔を届けた存在ですが、最愛の人を守るため、今度はひたすら「裏方」に徹したのです。
この時期、彼女がどれほどの覚悟と努力を重ねたかは、想像に難くありません。
◆ 奇跡の回復と現在
懸命なリハビリの結果、若嶋津さんは少しずつ回復の兆しを見せ、事故から約1年後には、祝賀会でカラオケを披露できるまでに回復しました。
もちろん、完全に元通りというわけではありません。
体力や記憶面では以前と比べると制約もありますが、外出できるほど元気な日常を取り戻しています。
今は、外部の活動を減らし、家族との穏やかな時間を何より大切にしているそうです。
高田みづえ、二所ノ関部屋おかみとしての歩み

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ここからは、高田みづえさんが歩んできた「二所ノ関部屋のおかみ」としての道について掘り下げていきましょう。
◆ 松ヶ根部屋の創設と裏方人生のスタート
1987年、若嶋津さんが引退し、年寄・松ヶ根を襲名。
1990年には、自身の部屋「松ヶ根部屋」を開設しました。
この時、高田みづえさんは「相撲のことは何もわからない」状態でしたが、夫を支えるため、おかみとしての生活に飛び込みました。
日々の弟子たちの食事、掃除、精神面のケア、行事の準備――。
華やかな芸能界から一転、見えない場所で地道な努力を重ねる生活です。
◆ 角界一のおかみと呼ばれるまで
高田みづえさんの真骨頂は、細やかな心配りにありました。
たとえば、弟子たちの誕生日には、必ず一人ひとりにプレゼントを用意し、手書きのメッセージカードを添えました。
地方巡業では、移動中も弟子たちを気遣い、常に陰で見守っていました。
相撲部屋のおかみというのは、単なる「管理者」では務まりません。
時に母親のように、時に姉のように、弟子たちの精神的な拠り所となる存在が求められます。
みづえさんはその役割を完璧にこなしたことで、「角界一のおかみ」と称されるようになりました。
◆ 二所ノ関部屋へ改名、そして引退
2014年、松ヶ根部屋は二所ノ関部屋へと改名されます。
名門・二所ノ関の名を受け継ぐことは、プレッシャーでもあり、誇りでもありました。
そして2022年、若嶋津六夫さんが定年を迎えたことで、高田みづえさんもおかみ業を卒業。
32年間にわたる「裏方人生」に、静かに幕を下ろしました。
高田みづえの息子に事故の噂?真相を解説

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さて、ここで一度整理しておきたいのが、「息子さんに関する事故の噂」についてです。
インターネットや一部のメディアでは、過去に「高田みづえさんの息子が事故に遭った」という情報が拡散されたことがありました。
しかし、実際にはこの話には大きな誤解が含まれています。
事故に遭ったのは、息子さんではなく旦那さんの若嶋津六夫さんです。
前章でご紹介した通り、2017年に自転車で転倒し、重傷を負ったのは若嶋津さん本人でした。
当時、ニュースの見出しなどで「高田みづえの家族が事故」といったあいまいな表現が使われたことにより、息子さんが事故に遭ったかのような誤解が広がってしまったようです。
息子さん自身は事故に遭っておらず、現在も元気に社会人として活躍されていますので、安心してくださいね。
高田みづえの息子・日高勝信の現在の活動

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では、その息子さんである日高勝信さんについて、もう少し詳しく見ていきましょう。
◆ 芸能界デビューとその後
日高勝信さんは、2011年に俳優デビューを果たしました。
ドラマ「幸せになろうよ」や「華和家の四姉妹」などに出演し、当時はその端正なルックスと長身(185cm)で注目を集めました。
また、舞台「彼岸島」などにも出演し、演技の幅を広げようと努力していました。
しかし、俳優としての道を続けるか、別の道を選ぶか悩んだ末、最終的には芸能界を引退。
現在は通信教育関連の企業に勤務し、営業・マーケティング部門のリーダーとして活躍しています。
◆ 社会人としての顔
会社では、対外的なプレゼンテーションやチームマネジメントを担当しており、芸能界で培った表現力やコミュニケーション能力が大いに役立っているそうです。
一方で、芸能界で得た「感謝を忘れない姿勢」や「相手に喜んでもらうための努力」を、ビジネスの現場でも大切にしているとのこと。
彼自身の生き方からは、親である高田みづえさん・若嶋津六夫さんの教えや家庭の影響が、確かに感じられます。
高田みづえに孫はいる?家族の最新情報

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さて、次は多くのファンが気になる「孫」に関する情報です。
2025年現在、日高勝信さんも妹の日高愛里さんも、それぞれ結婚されています。
特に娘の愛里さんは、女優・モデルとして活動するかたわら、2021年に一般男性との結婚を報告しました。
しかし、孫が誕生したという正式な発表は、今のところありません。
もしかすると、ご家族のプライバシーを守るために公表していないだけかもしれません。
とはいえ、SNSなどを見る限りでは、家族全体が非常に仲良く、支え合って暮らしている様子がうかがえます。
孫の誕生については、今後また嬉しい報告があるかもしれませんね。温かく見守っていきたいところです。
高田みづえと若嶋津六夫、離婚したのか?

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最後に、「離婚したのではないか?」という噂について。
インターネットでは、若嶋津さんの病気の後、「夫婦関係に問題があるのでは」といった憶測が飛び交いました。
しかし、2025年現在、高田みづえさんと若嶋津六夫さんが離婚したという公式発表は一切ありません。
むしろ、娘の愛里さんのSNSなどでは、両親が仲良く過ごしている様子がたびたび投稿されています。
若嶋津さんの事故後も、高田みづえさんは献身的に介護を続け、家族一丸となって支え合う姿勢を崩しませんでした。
二人の間には、逆境を共に乗り越えた深い絆がしっかりと根付いているのです。
【まとめ】
この記事では、高田みづえさんと若嶋津六夫さん、そしてご家族の「現在」にスポットを当ててご紹介してきました。
・高田みづえさんと若嶋津さんは、現在も仲睦まじく暮らしている
・若嶋津さんは事故から奇跡の回復を遂げ、元気な姿を取り戻した
・高田みづえさんは32年間、相撲部屋を支え続けた「角界一のおかみ」
・息子・日高勝信さんは社会人として活躍中
・孫に関する情報は現時点で確認されていない
・離婚の噂はデマであり、家族の絆は今も健在
かつてアイドルと大関という異色のカップルとして世間を驚かせた二人。
いまでは、互いに支え合いながら、静かで温かな日々を重ねています。
これからも、みづえさんと若嶋津さん、そしてご家族が健やかで笑顔あふれる日々を送られることを心から願っています。