2017年3月24日

満池谷、夙川の桜を守った桜博士・笹部新太郎。特別展を前に、その功績と人柄について、学芸員の弾正原さんに聞く!

笹部新太郎氏肖像
桜調査中の笹部新太郎

5,000点の資料を基に、人物像に迫る!

――今春の特別展「笹部さくらコレクション『ある櫻男の物語―桜と歩んだ笹部新太郎―』について教えてください。

弾正原:桜博士・笹部新太郎さんの特別展は当館(白鹿記念酒造博物館)オープン時から毎春開催しており、今年で36回目を迎えます。西宮市から寄託を受けた笹部さくらコレクションは、桜に関する資料、文献、美術工芸品など約5000点に及びます。今回の展示では、やがて櫻男(さくらおとこ)と称される笹部さんの若い頃の足跡、桜の研究や事業、美術品収集に関して、自筆記録を参考に、その人物像に迫ります。
大阪造幣局にて:イメージ
大阪造幣局にて

山桜、里桜の保護に命を賭けて

――笹部新太郎氏はどんな人だったのでしょうか。

弾正原:一言でいうと「日本固有の山桜、里桜の保護・育成に人生を捧げた人」です。明治20年に大阪の裕福な家に生まれ、91歳で亡くなりました。東京帝国大学の法科出身ですが、父親から言われた「この世に生を享けた甲斐」を、日本人の心に響き続ける桜に求め、生涯を通じて桜に関わる研究に、精力的に挑みました。『櫻男行状(さくらおとこぎょうじょう)(昭和33年 平凡社発行)』という自伝も執筆し、これがきっかけになって、作家の水上勉さんが取材され、笹部さんをモデルにした「櫻守(さくらもり)」という小説が誕生しています。
晩年には「桜供養」として奈良県の吉野山に「頌桜(しょうおう)の碑」を自費で建立しました。笹部さんの愛した山桜は、木目が細かく堅いため版木の材料として使われてきました。碑文には身をけずって日本の文化を伝えてきた桜への感謝の想いが刻まれています。
白鹿記念酒造博物館 学芸員 弾正原さん:イメージ
白鹿記念酒造博物館 学芸員 弾正原さん

「松があってこそ活きる」夙川の桜

――西宮の桜とは、どのように関わられたのですか?

弾正原:郷土史研究家の浅田柳一さんが、西宮市の助役を務めた南野三郎さんに笹部さんを紹介したのが始まりです。浅田さんは笹部さんのことを、「桜のことなら知らんことあらへん人やネン」と南野さんに言われたそうです。以後、笹部さんは満池谷の越水浄水場の桜管理指導などに関わられます。夙川公園に関しては松並木のすばらしさを挙げ、「松の木あってのさくらである。」との言葉を残されています。
笹部新太郎さんが一番好きな桜は紀州権現平桜だったのですが、西宮に残存していた種子の実生苗から西宮市がバイオテクノロジーで増殖され、「西宮権現平桜」として西宮の公園の一部、そして当館の駐車場にも2本植えられています。
白鹿記念酒造博物館 学芸員 弾正原さん:イメージ
――弾正原さんの、西宮の桜の楽しみ方を教えてください。

弾正原:私がよく行くのは夙川公園です。川のせせらぎや鳥の鳴き声など、街中であるのに別世界のように、落ち着きます。笹部新太郎さんが「思い思いの巧まぬ形で立ちならぶ松の緑」と評された、自由自在に曲がる松などを観るのも面白い。初夏は葉の緑が、秋は紅葉した葉の美しさが際立ち、踏みしめる落ち葉の音も賑やか。笹部さんは、桜は他の植物や建造物との取り合わせが大切だと考えていました。桜の時期以外でも四季を通じて散策を楽しめる夙川公園が身近にあることは、とても幸せです。
白鹿記念酒造博物館:イメージ
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NISHINOMIYA COMMONS編集部
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