「全員野球」で甲子園をめざした23年間
野球部の監督を引退してユニフォームは着なくなったことは、時間が経つにつれて寂しさを感じることもあります。でも、今は生徒たちの進路を預かる立場になって進学先候補を訪問することも増え、監督時代よりも忙しさは増したような気がします(笑)小学生だった1974(昭和49)年、「さわやかイレブン」と呼ばれた池田高校と決勝戦を戦った報徳学園ナインの姿をみて同校での野球を志し、私も甲子園に出場して優勝させてもらいました。その後、私が監督就任してからめざしたのは「甲子園の常勝校になること」と「全員野球」という相反するテーマでした。

生まれも育ちも西宮。私にとって西宮は心が落ち着く街。
高校野球が第100回大会を迎えるというのは素晴らしい。おめでとうございます。甲子園球場は、高校生までの野球人にとっては憧れの地。私はよく「甲子園に出場するのは、東大に進学するぐらい難しい」と言っていました。甲子園出場という目標に到達しない子がほとんどですから。でも、あくまで高校野球は教育の一環ですから、憧れの地でのプレーをめざして切磋琢磨して努力して絆を深めていく、その過程が一番大切だと思います。
プロアマの垣根を取り払い、野球の未来につながるイベントを実現したい!

私自身は、プロアマの垣根を取り払い、子どもたちに野球の楽しさを実感してもらったりテレビで見るプレーヤーを通じて野球に触れる機会を提供する『ベースボールフェスタ』の実現に取り組みたい。なぜなら、高校野球の現場で野球人口の減少を如実に感じていたから。昔は運動神経の良い子の多くが野球をしていましたが、今はサッカーや別のスポーツをやっていて、日本の野球の未来に危機感を感じています。
このような機会を通じて、野球を身近に感じてもらい、親しみを持って好きになってもらうきっかけを与えたいんです。そしてイベントが実現すれば、高校野球はもちろん野球界全体の発展につながると考えています。多くの方々の助けを借りながら実現に向けて取り組みたいですね。